南伊豆町肥田家文書保存・調査活動について vol.1
代表理事 西村 慎太郎
2019.5.17
【契機】
南伊豆町肥田家文書は、同町伊浜地区に遺された古文書である。代々、五郎右衛門と称する家だ。
2014年11月25日に同町教育委員会及び町史編さん室の依頼を受けて、同区の肥田二郎氏の御案内のもと、伊浜区公民館での所在調査を行い、継続的な保存・調査活動が決定した。
同家文書を用いた研究として、鈴木二郎『都市と村落の社会学的研究』(世界書院、1956年)、住谷一彦「伊豆伊浜部落の村落構造」(『人文学報』12、1955年)がある。

伊浜区の旧公民館
【保存環境の整備】
肥田家文書は9つのまとまり(木箱・長持・段ボールなど)に収納されており、その他、町史編さんのために段ボール3箱に分けられ、それらについては所蔵者が『伊浜大屋古文書目録』(私家版、1987年)を作成している。
まず、未整理分のうち、虫害による劣化が激しく、箱蓋などがないものを優先的に処置する必要があると思い、箱1・箱8・箱9などの保存処置・修復を行い、環境の整備を進めた。方法としては、@デジタルカメラによる現状記録、Aドライクリーニングと劣化情報の集積、B必要に応じた修復(劣化状態によっては後述の東洋美術学校への搬送)である。
保管環境に問題があったので、現在は環境を改めた。もともとシバンムシなどの被害が多く、それらの温床になっていたが、除虫・防虫作業によって、環境が格段に改善された。
【修復】
継紙・貼紙・付箋などの剥離があった場合、現場での修復を行った。また、大規模な修復が必要な場合や教材としての利用が可能な場合、協力・連携関係にある東洋美術学校へ搬入し、教材や卒業制作に利用した。修復した点数は174点である(2019年4月末日現在)。

継ぎ目が剥がれ、シワがよってしまった史料の修復風景
【作業と文書の概要】
肥田家文書は16世紀後半から近現代にまで及ぶ伊浜区(旧伊豆国賀茂郡伊浜村)の様相を表すものであり、3556点に及ぶ(2019年4月末日現在)。劣化状態が進んでいるものの保存処置を進めたため、それらの目録作成を優先的に行った。
文書群の特徴として、次の4点を挙げたい。
@隣村との境争論。享保年間以来、隣村である雲見村などとの村境争論が頻繁に起こっており、幕府評定所での裁許を受けるまでになっている。肥田家文書の中には裁許状裏書の写しも遺されている。これらの争論は幕末まで続いている。
A薪炭販売関係。現在でもウバメガシが見られるが、豊富な森林エネルギー資源は近世伊浜村の重要な産業であった。特に江戸との商取引は多く、これらについては「南伊豆を知ろう会スピンオフ企画 伊浜のむかし」その3で、橋喜子さんが「伊浜と江戸 -薪取引をめぐって-」として報告した。
B破船関係。伊浜村の海上は難破が多く、近世初頭から難船とそれに伴う文書が多く遺された。おそらくこれは南伊豆町域全体の傾向であろう。南伊豆の難船については、渡辺守男ほか編『石廊崎小沢氏所蔵文書 長津呂浦における海難文書 天和年間より明治初期まで』(南伊豆町教育委員会、1999 年)及び添田仁「南伊豆の海難と救助 -伊豆国賀茂郡長津呂村の海難記録から-」(『南伊豆を知ろう会』vol.5、2018年)に詳しい。
C鉄砲伝書関係。田付兵庫助景澄を流祖とする砲術の流派・田付流の伝書が遺されている。特に箱8はこれらを納めた旨が箱書に記されており、今後調査を進めていきたい。
D天神原新田開発。伊浜村は延享3年(1745)に天神原の開発を進めることとなった。この新田開発をめぐっては、岡村龍男「新田を拓く -江戸時代、伊浜村の天神原新田開発-」(『南伊豆を知ろう会』vol.5、2018年)で述べられている。

調査の様子
【成果の還元】
肥田家文書保存・調査活動を地域の方がたと共有するため、2016年より「南伊豆を知ろう会スピンオフ企画 伊浜のむかし」を年に一度開催している。ここでは年間の成果と伊浜の歴史に関して報告するとともに、東洋美術学校で修復した古文書を展示して、簡易ギャラリートークを行っている。

報告会の様子
【謝辞】
南伊豆町肥田家文書保存・調査活動に当たっては、肥田二郎様をはじめとして伊浜区の皆さまにはたいへんお世話になっております。また、南伊豆町教育委員会・南伊豆町編さん委員会・南史会には報告会など諸事にわたって御協力頂いております。心より御礼申し上げます。