長野県立科町清水家文書保存・調査活動


代表理事 西村 慎太郎
2020.4.20

【契機】
 立科町清水家文書は、2015年7月から活動がはじまった立科町土屋家文書保存・調査活動の際に、清水家の方から同家所蔵の歴史資料についての所在をうかがったことに端を発する。土屋家同様に中山道芦田宿に居を構えていた。芦田宿は本陣1軒・脇本陣2軒・旅籠6軒で、本陣の土屋家の建物は当時のまま遺されている。中山道の下りは間宿である茂田井を挟んで望月宿(現在の佐久市望月)へ1里8町、上りは笠取峠を越えて長久保宿(現小県郡長和町)へ1里6町の位置にある。そして宿場付きの村が芦田村であった。芦田村は小諸藩領で、元禄期は1756石余、天保期は2472石余、明治維新期には1986石の村高。村内は町組・古町組・野方組・赤沢組に分かれて村内2〜3名に名主がいた。
 清水家は甲斐国山梨郡板垣村(現在の甲府市)出身の清水主水という武田家家臣を祖とし、天正年中に当該地域に移住した。代々九左衛門を名乗り、幕末期には芦田村の年番組頭を務めており、芦田宿としては年寄役を務めている。
 7月12日に同家での所在確認をしたところ、多くの歴史資料が確認できたため、第二回目の立科町土屋家文書保存・調査活動に合わせて、作業を行うこととした。


【作業と文書の概要】
 活動は2回行われた。
@2015年11月14日〜16日 参加者9名
A2016年3月26日〜28日 参加者13名
B2017年3月11日〜13日 参加者13名

 作業は、当会が通常行っているとおり、以下のとおりである。
1. 現状記録
2. 保存処置・封筒詰め
3. 目録作成
4. 写真撮影

 清水家文書は、木箱2点(うち1点は柿渋の塗られた反故紙が貼られている)、「花瓶」と記された箱1点、ビニル袋1点・包装紙一括2点、別置されていた文書一括1点の計7つのまとまりに収められており、これらは基本的に複雑な現状ではないため、上から下へ取り上げる際に番号を付与し、デジタルカメラで撮影するという現状記録の方法を採用した。
 なお、現状記録については、群馬県内の高校教員を務めている栗原佳さんと、地元の中学生に全面的に作業を進めてもらった。




【写真1・2】現状記録をデジタルカメラによる撮影で行った

 次いで目録作成を行い、全420点の目録作成が終了した。それぞれの特徴は以下の通りである。


【写真3】木箱(単位1)


【写真4】目録作成

単位1(木箱):1-1〜1-51、92点。
 単位1と単位2のそれぞれの箱の現状から判断するに、村方文書と家文書が混同して入っており、もともとはそれぞれ別だったものが、いずれかの段階で混ぜられたものと判断し得る。例えば、安政2年「御年貢銘々名寄帳」は1の箱と2の箱に分けられてしまっている。
 したがってここでは1と2の箱の両方について特徴を述べたい。これらは既述の通り、村方・家の双方の文書が近世から近代にかけて入っている。村方の基礎的な年貢関係のものも多く確認できる。「御年貢銘々名寄帳」は安政2年・万延元年・慶応元年のものが確認できる。そこには「芦田村組頭年番九左衛門」と記されており、当該期に清水九左衛門が作成したこと、彼が組頭年番を勤めていたこと、年貢取り立ての名寄帳は年番組頭が作成したことがうかがえる。なお、他の文書に「赤沢組」と記されていることから、各組の組頭のうち年番の者が文書を作成し、年貢納入を進めたものと考えられる。
 また、2の箱を中心に万延元年の和宮親子内親王の行列に関するものが多い。和宮親子内親王は時の仁孝天皇の皇女であり、当時の孝明天皇の妹であった。彼女は14代将軍・徳川家茂との婚姻のため、中山道を江戸に向けて進み、11月6日に芦田宿本陣で休息している。その際の宿割りや人足に関わる文書が多く、当時の芦田宿を取り巻く和宮の行列の様相をうかがう貴重な資料といえよう。
 また、小諸藩領であるためか、「牧野御氏御家来分限帳」(文政10年)も遺されており、そこには作成者として「芦田宿澤田屋」と見える。

単位2(柿渋の塗られた反故紙が貼られた木箱):2-1〜2-88、150点。
 既述参照。

単位3(「花瓶」と記された箱):3-1〜3-12、12点。
 近世から近代にかけての和本類。武鑑や往来物である。なお、武鑑は何らかの争論のために江戸に出府しているので利用したのかもしれない。

単位4(ビニル袋一括):4-1〜4-11、11点。
 論語・孟子・中庸・大学などの漢籍。

単位5(包装紙一括):5-1〜5-6、6点。
 ほとんどが手習いであるが、「宿内軒別坪数書上帳」があり、近世の芦田宿内を考える上では重要であろう。また、写本ではあるが、「万治年中・寛文年中芦田宿四ヶ村皆済目録」があり、これが清水家文書の中では最も古い資料である。

単位6(包装紙一括):6-1〜6-27、29点。
 貸付に関わる証文や領収書を中心に近世から近代の資料。なお、無尽に関する証文も確認できる。

単位7(別置):7-1〜7-88、119点。
 近世から近代にかけての田畑売渡証文・領収書など。ただ芦田村の中尾新田開発とそれに伴う争論の資料も確認できる。中尾新田は芦田宿から雨境峠に通じる道筋の芦田8ヶ村(芦田・茂田井・山部・藤沢・細谷・宇山・牛鹿)入会地内に開かれた新田。享保6年に中込村の山浦喜左衛門と芦田村の高橋甚太郎によって開拓された。



【写真5】万治年中・寛文年中芦田四ヶ村皆済目録(文書番号5-5)

【謝辞】
立科町清水家文書保存・調査活動に当たっては、所蔵者の清水様、立科町教育委員会の皆さまには諸事にわたって御協力頂きました。心より御礼申し上げます。


【写真6】2017年3月12日。
前列左から松本美紅・武子裕美・舩田一恵、
真ん中の列左から吉竹智加・江幡照子・杉山晴香、
後方の列左から西村慎太郎・真下卓也・吉原大志・岡村龍男・平野暁子・増田亜矢乃・栗原佳
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